コミュニティの在り方
今回のゼミでは先週に引き続き、哲学を勉強しました!
まずは前回の内容を振り返り、須長先生の考え等を教えていただきました!
AとBを簡単にまとめたスライドを見て、ざっくりとした内容を復習することができました!
そして前回の問いに対する須長先生なりの回答を教えていただきました!
1つ目の問いに関しては、差別・逆差別・カウンターは攻撃衝動のあらわれであり、われわれは「差別はいけない」というメタ差別のなかにある。
2つ目の問いに関しては、差別はしてしまってしも仕方がない。しかし一生責任を負うことや、自らが差別してないか常に管理することが正しい訳ではない。差別に気づいたときに改善する、ということに寛容になるべきである。
ということを述べられていました
「差別」というのは僕たちのなかで、常に高いレベルに存在しているため、その「差別」との付き合い方が自らの価値となるんじゃないかなって感じました!
そして今回もテーマのもと哲学対話を行いました!
今回のテーマは
1.われわれは自分が愛着を持っているコミュニティに対して、他の人も同じように愛着を持っていてもらいたいと思ってしまうのはなぜか?そして、その気持ちは持っていて良いものなのか、それとも制御すべきものなのか?
2.怠け者のB君を、「人間として」尊敬しなさい、という教師の言葉は、なぜ問題なのか?
というものでした!
グループは前回同様、林くんと奥薗さんとの3人でした!
2人ともどんどん自分の思ったことを発言していたのですごいなぁと感心していました…笑
今まで人の意見を聞いて自分の意見を固めていっていきがちだったので、これからは自分から発言することをやっていかないといけないなって反省しました!気をつけて次はやってみたいです!
ここでは自分の意見を書いていきたいと思います!
まず1については
他の集団に対して敵対心を持っていて、対抗するために自らの集団を拡大させたいという気持ちがあるから
という答えがでました
愛着のある集団だからこそ、他の集団に劣っていたくない。同じ愛着を持ってもらうことで集団の規模が拡大し、同じ目標を持って活動することで、集団としての力も向上する。そうすることで他の集団との差別化をはかることができる。
こんな感じのことを思っているんじゃないかなって考えました!
さらにグループで対話を行なっていくなかでとても納得のいく意見を聞くことができました
それは
他の人にも愛着を持ってもらうことによって、自分が差別されるのを防ぐ防衛心があるから
という考えです
確かに同じ愛着を持った仲間同士だと、的外れなことを言う人はいないし、自分の考えも共有しやすいです。そしてなによりもそこで信頼が生まれるのがとても大きいのではないかなって思いました
そしてこの気持ちは持ち続けるべきだと思います!
そうしないと集団同士の高め合いがなくなってしまう感じがして、その集団の質も下がってしまうんじゃないかなって思ったからです!
次は2です!
このことに関しては
人間としては尊敬しなさい、でもその他の項目では尊敬しなくて良いです。というような裏付けがあるように思ってしまうようなことを言っているから
というものです
「人間として」尊敬しなさい。
他のことに関してどう思っているのかは言った教師本人にしか分かりません。
しかし、他のことに関してどう思えば良いのか子供たちは考えることが難しいし、大人たちは僕の意見のように裏付けがあるのではないかと考えてしまいます。
たしかにB君はA君と比べてしまうと、世間一般的な「良いこと」には外れてしまうかもしれません。
それでもB君はB君なりに自らの道を進んでいます。
きっとA君にはできない何かがB君にはできます。
それを尊重することも大切だし、正すことも悪いことではないと思います。
B君を「人間として」尊敬するのではなく、B君の「考え」を知り、尊敬することが大切だと思いました
コミュニティ内での他人との価値共有、コミュニティの中の仲間とどう接していくのか
今回のゼミではそんなコミュニティの在り方を考えさせられました!
はっきりとした答えはでませんでしたが、これが僕の考えた問いに対する意見です!
次回のゼミも頑張ります!!
end👋